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VACHERON CONSTANTIN セロン・コンスタンチンの歴史

創業:1755年

~18世紀のカビノチェ精神を2世紀にわたって継承するジュネーブ屈指の名門~

 バセロン・コンスタンチンを知ることが、時計という精密機械の本質を知ることである。同社が時計史に刻んできた軌跡はそれほどまでに偉大だ。しかし、この希代の時計ブランドのすべてを知ろうとしても無駄な徒労に終わってしまうだろう。それは、あたかも機械式クロノグラフのムーブメントのように複雑に絡み合っているからだ。
 バセロン・コンスタンチンの本社は、ジュネーブ市の中心部をゆったりと流れるローヌ河の支流にはさまれるように位置する中の島にある。パテック・フィリップなど名門と謳われるブランドが軒を連ねるこの界隈は、18世紀以来続くスイス時計産業の中核といっても過言ではない。同じく、スイス時計産業の中心地として知られているラ・ショー・ド・フォンとはあまりにもイメージを異にするところがユニークだ。
 さて、バセロン・コンスタンチンの本社だが、その建物を囲むようにディスプレイされた品々を見れば、同社の歩んで来た歴史のスペクタクルをいっとき垣間見ることができるだろう。それは、現存する古い台帳、美しいエナメル装飾が施された懐中時計、古いデザイン画、テンプや歯車の類いなどで構成されている。18世紀中葉にまでさかのぼる同社の歴史は同じジュネーブの地でスタートした。
 ところで、18世紀といえば何といってもイギリスが世界に冠たる時計王国として君臨していた。かたやスイス製の時計は現在では想像だにできないが、どちらかといえば廉価品というイメージが強かった。このイメージを覆し、スイスの時計産業を世界に知らしめる役割を果たすことになるのがバセロン・コンスタンチンだった。
 刻々と流れ行く時間に人間はいやおうなく支配される。なすすべもなく立ち尽くすそんな人間が唯一、時間を意識し、分割することができたのは時計のみであった。時計職人は時計製造技術のみならず、芸術や哲学といった分野にまで幅広い知識を有してはじめて本物として認められるにいたる。このような高次のレベルで仕事をする集団を、人々は「カビノチェ」と呼んだ。18世紀のジュネーブにはこのカビノチェが数多く存在していたのだ。バセロン・コンスタンチンの創設者であるジャン・マルク・バセロンもそのひとりであった。時計職人、歴史家、学者とさまざまな顔をもつ彼は1755年、時計工芸の魅力を表現するために時計工房を設立した。これがバセロン・コンスタンチンの始まりである。当時は職人が個人個人でひとつの時計を製作するというスタイルが一般的であったが、バセロン・コンスタンチンの登場以降、組織的に時計を製造するというスタイルが確立されていった。
 ジャン・マルクの後を継いだ2代目のアブラム・バセロンも、3代目のジャック・バルセレミイ・バセロンも、典型的なカビノチエとして量高品質の時計作りに心血を注いだ。とくに3代目のジャックは才知に溢れた人物であった。1819年に彼はフランソワ・コンスタンチンという人物を共同経営者として迎え入れたのだ。同社の転機はここから始まった。いつも夢見心地でいながら、合理主義の感覚も兼ね備えていたフランソワはまさにバセロンの在り方とぴったり合致していた。彼は優秀で野心に溢れた事業家となり、自社製品の海外販売に全力を尽くした。こうして、バセロン家とコンスタンチン家の優秀な末裔が″バセロン・コンスタンチン”という名称を生み出すにいたったのである。
 ところで、カビノチェという響きには家内制手工業のニュアンスが強く感じられないだろうか。屋根裏部屋(キャビネットと呼ばれる。カビノチェの語源はここに起因する)でこつこつとひとつの時計を仕上げていく。そんなイメージが頭の中を錯綜する。バセロンは現在でも、当時のカビノチエ精神を基礎とした時計作りを続けているが、同社がスイス時計産業の中でいち早く機械生産を導入したという事実はあまり知られていない。
 19世紀までの時計産業は完全な手工業であった。職人の目がすみずみにまでいき渡るという利点はあったものの、これではどうしても生産効率などの点で限界が生じてしまう。1839年、ジョルジュ・レショーというひとりの天才発明家がバセロン・コンスタンチンの経営に参画した。1830年にレバー式脱進機を搭載したスイス製の時計に引き込み作用を導入したのは彼であった。この発明以降、レバー式脱進機の良さが認められ、急速に発展を遂げるのであった。
 今日では「近代時計産業の創設者」と呼ばれる彼は、従来は手作業であった時計部品の生産に、互換性のきく機械生産を導入するという、当時としては誰も考えつかなかったシステムをバセロンにもたらしたのであった。2年後には、あらゆるサイズの時計部品を生産できる工作機械をも完成させた。これによって生産効率が格段にアップし、人間でなければ手をつけることができない微細な仕事に、職人が全神経を集中できるようになったのだ。イギリスの時計産業が、機械生産を導入することなく凋落していったのとはあまりにも対照的である。
 第一次、第二次大戦の暗い時代を乗り越えた1955年、バセロン・コンスタンチンは創設から200年を数えた。この年は米、ソ、英、仏の4ヶ国の首脳がジュネーブにて首脳会談を行った年でもあった。ジュネーブ市民はこの4首脳にバセロン・コンスタンチンの時計を送っている。「この時計があなた自身、あなたの国民、また世界の平和にとって、幸せな時を記念する永遠のしるしとなるように」という温かいメッセージを添えて。永世中立国のスイスが平和の象徴としてバセロン・コンスタンチンを選んだのだ。
 バセロン・コンスタンチンの作り出す時計は、創設から現在まで基本的には変わっていない。それは、時計をひとつの芸術品として考え、選ばれた少数の人々に向けて送られている点だ。
 ムーブメントの製作には6ヵ月もの期間を費やし、ケースや文字盤はカビノチェ精神を今なおもつ職人の手によって綿密に仕上げられる。そしてバセロンのトレードマークとなっているマルタ十字。この十字は現在、世界最高の品質と精度を保証する刻印とまでいわれている。シンプルな薄型のドレス・ウオッチをよく見て欲しい。そのさりげないデザインのなかに、普通の時計ブランドでは絶対にできない素晴らしい仕上げが施されているのを発見するだろう。伝統ブランドらしくミニッツ・リピーターやトゥールビヨン、永久カレンダー機能などを搭載した複雑時計もラインナップされているが、この時計のどこにそんな複雑な機能が隠されているのかと目を疑うほどのシンプルさだ。しかし、バセロンの時計は一目見ただけでそれとわかる強烈な個性をも有している。
 伝統は、世に溢れる繁雑な個性を完全に凌駕する力がみなぎっているのだ。
            
「世界の腕時計 №16」より引用