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ULYSSE NARDIN ユリス・ナルダンの歴史

創業:1846年

~マリン・クロノメーターから天文時計へ。ユリスナルダンの時計はいつも壮大なロマンを内包する~

 今から51年前の1942年のこと。日本のセイコー舎が日差0.1秒という驚異的な精度のマリン・クロノメーターを開発した。戦前の日本の時計産業の充実ぶりが偲ばれる話だが、実はこのマリン・クロノメーター、スイスのある名門ブランドのものを徹底的に研究して完成にこぎつけたという。そのブランドとは、錨をかたどったトレード・マークを冠する、ユリス・ナルダンである。
 スイス・ジュウ渓谷の谷あいの街、ル・ロックル。今でこそ、ラ・ショー・ド・フォンなどと並び称されるスイス時計産業のメッカとして知られるが、この街に時計産業が本格的に根付いたのは19世紀初頭のことである。その渦中にレオナルド・フレデリック・ナルダンというひとりの青年がいた。代々、職人の家庭に育った彼は、非凡な才能を発揮して高名な時計職人となる。当時、最先端の職業であった時計職人は、誰もが羨望の眼差しを向ける花形稼業であった。当然、彼はわが子にも自らと同じ道を歩んでほしいと切望した。息子の名はユリス・ナルダン。1846年に弱冠23歳で、自らの名を冠したユリス・ナルダン社を設立する。
 他に類をみない高精度の時計作りを創設当時から標榜していたユリスは、天文学や船舶など、正確な時間測定が不可欠な分野に向けての時計製作に主眼を置いた。とくに、マリン・クロノメーターの開発には並々ならぬ意欲を示した。船で航海する場合、東西南北を正確に測定することは安全な航海のために必要不可欠であった。幾人もの時計職人が高精度のマリン・クロノメーターの製作に挑戦してきたが、どれも正確とは言い難いものばかりであった。マリン・クロノメーターの精度向上は、時計全体の精度向上の歴史を代弁していたと言っても過言ではない。さらに、大航海というスケールの大きな事業に参加するという男のロマンも時計職人を大いに刺激したのだった。
 彼の製作したマリン・クロノメーターは正確無比だった。それは1862年にロンドンで開催された世界博覧会において、優勝のプライス・メダル賞を獲得したという事実が物語っている。同じ年にはスイス・ニューシャテルの天文台に2個のクロノメーターを出品し、非常に高い評価を受けるという栄誉にも浴している。1876年には経営がユリス・ナルダンから息子のポール・デビット・ナルダンに受け継がれたが、この息子が父親に双璧する優秀な技術者であり、経営者でもあった。
 時計を製造するメーカーにとっては、昔も今も自社製品が軍部や科学研究所などの機関に正式採用されるという事実は、誇りであり、精度の証しにもなった。父から経営を受け継いだポールはそのことがよくわかっていた。彼は父と同様、高精度のマリン・クロノメーターの生産に全力を注ぐことになる。その結果、各国海軍や造船所などが続々とユリス・ナルダンのマリン・クロノメーターの正式採用を決定し、同社の地位はまさに揺るぎないものとなった。
 その後もナルダンー族による血族経営で順風満帆だったユリス・ナルダン。1923年には、史上最高の時計製作者ブレゲの生誕100周年記念祭のコンテストに出品したマリン・クロノメーターが、史上初の一等賞を受けるという快挙も成し遂げたのだった。しかし、不吉な時代の足音はひたひたと忍び寄って来ていた。
 1965年、代々続いた血族経営に限界が生じ、ニューヨークのベルンが共同経営に参画した。「新しい血」の導入である。しかし1970年代、スイス時計産業を震憾させたクォーツ・テクノロジーが極東の地から一斉に大量移入を開始した。このダメージは強烈だった。工場は閉鎖状態になり、数多くの栄光に包まれた名門ユリス・ナルダンももはやこれまでかと思われた。しかし、幾世紀もの長きにわたって連綿と続くスイスの時計産業は、この名門の名を永遠に消し去るという愚行は犯さなかった。1983年、少数精鋭の資産家集団が、ユリス・ナルダンの株式の大半を習得したのだ。「まったく新しい価値をもつ最高の機械式時計」を生産する、新生ユリス・ナルダンの誕生である。
 再生から2年後の1985年、ユリス・ナルダンが再び時計産業をあっと言わせる時がやってきた。今回はスイス国内のみならず、全世界規模のものであった。ある時計職人の工房で偶然発見された天体掛け時計を元に開発した、天文腕時計、”アストロラビウム・ガリレオ・ガリレイ”が完成したのである。標準時、地方時はもちろんのこと、黄道十二宮、日食、不定時法の時間の測定などをリュウズひとつで調節してしまう奇跡の複雑時計だ。現在、ギネスブックに登録されている唯一の腕時計としても知られている。当初、新生ナルダンはスプリット・セコンド機能を搭載したクロノグラフを世に送り出す計画を立てていた。しかし、この天体掛け時計との出会いは、スプリット・セコンドの構想を頭から完全に消し去ってしまうほどの衝撃であった。それはあたかも、創設者ユリス・ナルダンが大航海への魅力に誘導されるようにマリン・クロノメーターの製作を始めた時と状況がとてもよく似ているのだ。
 現在のユリス・ナルダンは、先述の”ガリレオ・ガリレイ”やプラネタリウム”コペルニクス”などの天文複雑時計や、エナメル仕上げの文字盤が美しいクロノメーター”サンマルコ”など、バラエティに富んだ商品構成を誇っている。それらのモデルはすべて、機能的な素晴らしさはもちろんのこと、ケース、文字盤、さらにはムーブメントの仕上げにいたるまで、比類なき美しさを見せている。そのどれもが他社にはない個性溢れる傑作として成立しているのだ。創設時にユリス・ナルダンが目指した「他に類を見ない高精度の時計作り」は、今でも、脈々と息づいているのだ。

 「世界の腕時計 №16」より引用