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TUTIMA チュチマの歴史

創業:1845年

~東西ドイツの壁が崩れ、かつての名門ブランドが華麗なる復活を遂げた~

 チュチマは第2次世界大戦時のドイツ軍用時計として広く知られる。そしてその歩みはドイツの政情を抜きには語れない。戦後の東西分断、やがて訪れた統合という歴史の動揺に大きく左右されながら、今日にいたっている。しかし独自の精密時計作りの伝統は、どれほど周囲の状況が変わったとしても、変わることはない。
 19世紀後半、ヨーロッパでの時計工業の発展には目覚ましいものがあった。その中心はスイスのジュネーブの北に広がるジュラ山脈地域、ロシアのスターリングラードを中心とする地域、それにドレスデン近郊のグラスヒュッテである。ところでヨーロッパの時計製造は中世にドイツのニュールンベルグやフランスで幕を開ける。ところが17世紀に始まる宗教改革に対する弾圧のために宗教改革派の時計職人の多くがスイスやイギリスへと逃れた。しかし幸いにもドイツに根付いた時計作りは途絶えることはなかった。
 ザクセン州グラスヒュッテで時計工業が花開いたのは、19世紀に入ってからのことだ。衰退したこの町を活性化するために、州政府が時計工業を誘致するという政策の結果である。そこにはそれが栄えるに十分な潜在的可能性、すなわち高精度時計を生み出す技術を開発する能力をもつ人材があり、精密機械作りに適した人々がいた。
 当時、グラスヒュッテの時計工業は大手2社と小さな下請け工場がコンツェルンを結成し、相互発展を目指していた。その中核となっていた時計会社のひとつがグラスヒュッテ・ウーレンファブリクだ。ここでは独自のムーブメントの生産から完成品の組立までを行い、ヨーロッパ各地に販路を広げた。その中でもグラスヒュッテで生産される超精密時計にはラテン語で「精密」を意味する「チュチマ」というブランド名がつけられた。チュチマはまさにドイツの高精度時計の代名詞となったのだった。特に、20世紀に入り、腕時計作りが始まると、懐中時計のランゲに対して、チュチマは高精度腕時計としての地位を確立していった。
 グラスヒュッテの時計工業が最盛期を迎えるのは1930年代だ。30年代後半にはチュチマを代表するキヤリバー59を使ったクロノグラフが生まれた。これが第2次大戦でドイツ空軍が採用し、チュチマの象徴的存在となるパイロット用クロノグラフだ。
 1945年に終戦を迎えると、グラスヒュッテのコンツェルンは旧東ドイツの国有企業として時計の生産を続けることになった。1948年、コンツェルンのディレクターであったドクター・クルツがソ連の手から逃れるために、数人のエンジニアとともにガンダーケッセに移り、精密高級ムーブメントと時計の開発を続けた。ドクター・クルツと行動を共にしたのは、当時、最高の腕をもつ人たちであり、彼らは戦前のドイツの時計作りの技術の維持に努めた。こうして紳士用時計ムーブメントの”クルツ2511 1/2”をはじめとする多くの傑作が生み出された。
 1960年、ドクター・クルツが引退すると、チュチマ・ウーレンファブリクと社名が変更された。チュチマで生産される時計の種類は多いが、その精度には依然、定評がある。1980年に開発されたクロノグラフが、ドイツ空軍やヨーロッパ駐留のNATOアメリカ軍の制式パイロットクロノグラフに採用されたという事実がその信頼性を語っている。また、近年では新たにミリタリー・クロノグラフを発売した。東西統合によって旧東ドイツのグラスヒュッテに残るエンジニアたちと再び、交流することによって完成したものだ。そこにはかつてのドイツ軍用時計の栄光が宿っている。

「世界の腕時計 №16」より引用