image1

OMEGA オメガの歴史

創業:1848年

~海・陸・そして宇宙。男たちの腕にはいつもオメガが輝いていた~

 ヨハネ黙示録に、こう記されている。「私はアルファでありオメガ、最初であり最後、始まりであり終わり」。成熟や完成を意味する「オメガ」だが、その本来の意味よりも、多くには時計ブランドの名前として知られる。
 オメガの歴史は1848年、23歳のルイ・ブランがラ・ショー・ド・フォンに時計の組立工場を設立したことに幕を開ける。カギ巻きの懐中時計が最初の製品だった。1877年には長男のルイ・ポールをパートナーに迎えて、ルイ・ブラン・アンドフォルズ社を創設した。やがてルイ・ポールと弟のセザールは労働力に恵まれたピエンヌに会社を移す。大規模な時計製造を目指した彼らは、労働力の確保こそ発展の要だと判断したのだ。
 こうして基盤を整えた1880年、機械式シリンダー・エスケープメントのキャリバーを発表した。彼らはこのキャリバーを使った懐中時計「ジュラ」、「パトリシア」、「ヘルベチア」、「ケルティック」を発表。イギリスを中心とするヨーロッパ市場で販売し、成功をおさめている。これには18歳でイギリスに渡り、販売網の確立に力を注いだセザールが大きな役割を果たした。その後、南北アメリカへも販売網を広げた。広く一般に受け入れられる高品質の製品と、市場の状況を読んだ確実なマーケティングが成長をもたらしたのだった。こうして1889年には従業員600人、年間製造個数10万本というスイス最大の時計メーカーに成長していた。
 1894年オメガにとって、記念すべき年となった。オメガ19ライン・キャリバーの開発だ。分業システムで作られた最初のキャリバーであり、この製造方式がその後の時計製造に大きな影響を及ぼしている。19ライン・キャリバーは当時の技術として最高のものと評価され、「究極」を意味するオメガと命名された。
 19ライン・キャリバーを使った、ルイ・ブラン・アンド・フレール社の時計ブランド「オメガ」の名前が広がるのに時間はかからなかった。やがて1903年には「ソシエテ・アノニム・ルイ・ブラン・アンド・フレール・オメガ・ウォッチ」と社名にもオメガが加えられた。その後1947年に「オメガ・ルイ・ブラン・アンド・フレール」社、1982年に「オメガ」社とその名も変 を遂げている。
 さて、究極であることを自負するオメガの信頼性を証明する事柄は多い。極地や海底の探検、調査の装備としてオメガを選んだ冒険家も多い。しかしオメガ史の中でも最も輝きを見せるのが、宇宙飛行での計時機器として選ばれたスピードマスターだろう。
 1965年3月1日、アメリカ航空宇宙局(NASA)はオメガ・スピードマスターを、「精度、比類ない信頼性、卓越した堅牢さ、操作の間便さ」を理由に宇宙飛行士の標準装備品として認定した。1962年NASAが宇宙飛行士の時計を決定しようとしたとき、ヒューストンの時計店でいくつかのクロノグラフを選んだ。擬似宇宙環境で苛酷なテストを繰り返した結果、唯一合格したのがスピードマスターだった。スピードマスターは1957年に登場した30分計と12時間計、タキメーターを備える、手巻きクロノグラフであり、ケースにはイギリス海軍の要請で開発された、3重密閉構造のシーマスターケースが使われている。
 スピードマスターをつけて初めて宇宙飛行したのは、1965年にスタートしたジェミニ計画の宇宙飛行士だ。スピードマスターはNASAの期待を裏切ることはなかった。それは1969年7月に行われたアポロ11号による人類初の月面着陸でも同じだった。地球の重力6分の1でも確実に時間を刻んだ。
 スピードマスターが本領を発揮したときがある。1970年4月17日、月を目指すアポロ13号の指令船の酸素タンクが爆発するという事故が起きた。そのために電気系統が故障し、計時装置は破壊されてしまった。月着陸を諦めたアポロ13号は、地球軌道へと進路を変えなくてはならなくなった。このとき地球に帰還するためロケットエンジンを的確に発射できたのは、スピードマスターが正確に秒を刻んでいたからに他ならない。高速で飛行する宇宙船ではロケット噴射を1秒間違えれば、地球軌道に戻ることすらできない恐れがある。宇宙船内部の計時機器は壊れてしまい役には立たない。機械の物理運動で動くスピードマスターのほうが信頼に足るものだったというわけだ。
 頑強なケースに収められたムーブメント、どんな外因にも影響を受けない信頼に足る時計、まさに究極の時計としてスピードマスターはオメガを宇宙開発に欠かせない存在にしたのだ。1989年、ロシアも宇宙飛行士用公式時計としてスピードマスターを採用している。
 一方、オリンピックもオメガの存在を広く知らしめている。オメガのスポーツ時計の歴史は1909年にチューリッヒで行われた気球大会、ゴードン・ベネット・カップに始まる。そして1932年のロサンゼルス大会から1992年のアルヴェールビルまで、21回のオリンピックで数多くの歴史的瞬間を記録してきた。
 初期のストップウォッチから今日のビデオ画像記録を連動させた電子計時装置まで、スポーツ計時も大きく変化している。特に第2次世界大戦以後の発展はめざましい。そしてまた高度に発展した計時装置が人間の記録更新への欲望を駆り立ててきたともいえる。今日1000分の1秒計測を可能にする技術を持つメーカーは数少ない。オメガは記録にかける人間の情熱の火付け役でもある。
 4つの爪で知られる「コンステレーション」、深海探査に活躍する「シーマスター」、創設者の名前を冠した「ルイ・ブラン」、洗練された「デ・ヴィル」など、オメガの製品は多岐に及ぶ。しかし日常の時計から冒険の時計まで、宇宙の時計とスポーツ計時の技術がひとつひとつの製品に生かされているのはいうまでもない。

「世界の腕時計 №16」より引用