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LONGINES ロンジンの歴史

創業:1867年

~ロンジンを手にすると男は皆、冒険者になる~

 19世紀末以降、人類は多くの冒険を行っている。ロンジンの歴史を語る時、この勇敢な偉業を忘れることはできない。当時のことであるから、装備など万全の状態でこれらが達成されたのでないことは容易に推測できる。極限の状況に置かれることも少なくなかっただろう。そんな時もロンジンの時計は正確に時を刻み続け、支えとして彼らの冒険を助ける役割を果たしてきたのである。冒険計画の遂行にとって、把握はかけがえのない大切な要因あった。それができるか否かで生命の存在が危ぶまれる状況のなか、彼らはロンジンの時計に限りない信頼を寄せ、ロンジンはそれに応えてきた。
 1899年、アブルッジ公ルイジ・アマデオの北極海探検の時、彼とともにあったのはロンジンのクロノメーターである。1904年、J・E・バーニー隊長による429日に及ぶ北極探検の際にもだ。1927年には大西洋無着陸横断飛行に成功したチャールズ・リンドバーグのコックピットで、33時間39分に及ぶ飛行の間、優秀なナビゲーターとして活躍したのがロンジン製航空クロノメーターだったということ。「ロンジンの機械なしではこの探検は成功しなかっただろう」というのは、1928年から2年の歳月を擁して敢行された南・北極探検のリチャード・E・バード提督の言葉である。
 近代史に名を残す冒険家たちがサバイバル・ツールとして信頼を寄せ、ロンジンは彼らとともに未知の分野を経験することで目覚しい技術の革新を行い、精度と機能の進歩を実現してきた。冒険家によってロンジンの名声は世界に広がり、パイオニアとしての地位が確立されている。航空史に残るドイツの飛行船ツェッペリン号のパイロット、H・フォンシラーもロンジンの愛用者だった。
 ロンジンの起源は1832年・オーギュスト・アガシという人物がスイス・サン・ティミエにレギュル・ジュンヌ&アガシ商会を設立し、時計事業を興したことに始まる。ここでは時計の部品を仕入れて、職人たちに組み立てさせるという製造方法が行われていた。1852年、オーギュスト・アガシは彼の甥であり、片腕として事業拡張に貢献したアーネスト・フランシロンを後継者に指名し、その後の経営を任せた。新しい時計作りを心に描いたアーネスト・フランシロンは、叔父から受け継いだ会社を母体し、サン・ティミエ近郊に流れるシュズ河畔に位置するロンジンの地に時計工場を開いた。
 1867年のことである。これがロンジンの正式なスタートで社名も発祥の地に由来している。ロンジンとはフランスの古語で「小川の流れる花の咲き乱れる野原」という意味だ。
 アーネスト・フランシロンはこの年、彼の名前を冠した懐中時計をパリの万国博覧会に出品している。これは初期のカギなし両蓋懐中時計の一つだった。ほとんどの時計が付属のカギでゼンマイを巻き上げていた時代に、フランシロンの懐中時計は吊り輪の中にあるクラウンでゼンマイを巻き、これを引き出して時刻合わせをおこなうというスマートな機構が採用されていた。このことからも、革新に対する彼の積極性の一端を伺うことができるであろう。フランシロンの1867年型の両蓋懐中時計は、ロンジン創立160周年、工場設立125周年記念として復刻発売され、大きな話題を提供した。
 ベストなものだけを作るという信念と新しいビジネス・センスをもっていた創設者のフランシロンは、従来の時計生産システムに疑問をもち、ここに大きくメスをいれる。自社製品に高品質、高精度を一定基準で要求するあまり、それまでの常識だった、職人の技術で品質が変化しがちな、家内工業生産からの脱却を試みたのだ。これは方々に散らばって作業していた職人たちを一箇所に集め、工作機械を導入して自社工場内で一貫した量産体制を築くというものであり、近代工業化への第一歩だった。新しいアイデアに基づくこの方法は、以後のスイス時計業界が進むべき道を示すものとなった。現在は高級ドレス・ウォッチ・メーカーというイメージが強いロンジンだが、どちらかというと保守的なスイス時計業界において、常に先進性を重要視し、それを実践してきた進歩的な時計メーカーなのである。この姿勢は長い歴史においても一貫して変わらない。
 1874年、ロンジンは横行する偽者に対抗するため、シンボルマークを発表した。翼と砂時計の組み合わせをシンボライズしたもので、翼は未来にはばたく時を、砂時計は過ぎゆく時を表現している。これをムーブメントのテンプ受けに刻み込み、偽物との区別を図ったわけだ。1889年にはこの「有翼の砂時計」が商標登録され、以降多少のデザイン変更を経ているが、現在もシンボルとして親しまれている。
 スイス時計のパイオニアであったロンジンは、1879年世界初のクロノグラ・ムーブメントを完成させ、計時装置の分野にも進出した。当時のクオリティは、ロンジンのクロノグラフも含めて、5分の1秒までの計測が限界だった。17年後の1896年、ピエール・ド・クーベルタンの呼びかけでオリンピックが復活することになり、時はまさに計時装置の進化に対して、大きな期待が寄せられる時代へと流れていく。
 20世紀になるとロンジンの計時装置は急速な発展を見せる。1912年にスイス・バーゼルで行われた連邦体育祭で、スポーツ史上初の自動計時を行っている。そのメカニズムは、選手のスタートにあわせてクロノグラフが作動し、ゴールと同時にストップするという簡単な仕組みだったが、スポーツ計時の基礎を確立し、競技の世界に大きな影響を与える出来事となった。その後経験をフィードバックする形でさらにスポーツ計時に対する研究は進められ、100分の1秒までの計測を実現。1945年、モンタナで開催されたスイス陸軍選手権大会では、光電子写真装置によって1000分の1秒の計測を初めて可能にするなど、厳しさを増す計時競技に歩調を合わせるように新しいテクノロジーを投入。スポーツ計時の分野でも、世界的に認識される存在となったのだ。
 クォーツ時代の到来にもスポーツ計時の世界で獲得したノウハウで早くから柔軟に対応し、時代を先行するべく1969年にサイバネチック・クォーツ・ムーブメントを利用したウルトラ・クォーツを発売。これは世界最初のクォーツ腕時計で、1年間に生じる誤差は1分以内という精度を誇った。1984年にはウルトラ・クォーツが進化したコンクェストVHPシリーズを発表し、誤差5年間に1分という超高精度を実現した。クォーツの薄型化、エレガント指向をも追及し次々と話題作を発表、クォーツにも一家言をもつにいたっている。
 冒険とスポーツ計時。これらと深い関わりをもち、鼓舞されることを自らの進化に反映させてきたロンジン。経験は必ず新たな時計作りに活かされ、それは留まることを知らない。一方自己回帰ともいえるメモリアル・モデル、リンドバーグのアワー・アングル・ウォッチ、「リンドバーグ」ウィームス大佐のナビゲーション・ウォッチ「ウィームス」など、冒険時代に活躍した時計の復刻モデルが続々と発表されることは、時計ファンにとって嬉しい限りだ。「ベストなものだけを作る」という基本のもと、時計を多角的に捉らえ、情報をテクノロジーに昇華させる一流時計メーカーとして、今後もロンジンの活躍に期待したい。

 「世界の腕時計 №16」より引用