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IWC インターナショナル・ウォッチ・カンパニーの歴史

創業:1868年

~アメリカ人の時計哲学がスイスで開花した~

 IWCはスイス時計メーカーの中で唯一、万能時計職人の育成を公的に認めるライセンス「オルロジェ・コンプレ」を所有する時計会社である。1990年のバーゼルフェアでは、その名に恥じない複雑時計グランド・コンプリケーションを発表し話題をさらっている。クロノグラフ、2499年までの永久カレンダー、ムーンフェイズ、ミニッツリピーターを備えた精密かつ複雑な時計は、7年の歳月をかけ、コンピューターと伝統の手作業によって完成されている。まさにIWCの歴史を集約するような時計の登場だった。
 アイ・ダブリュ・シーあるいはインターの略称で親しまれているが、正式社名はインターナショナルーウオッチーカンパニーだ。その歴史をひもといて見ると、かつてアメリカの時計産業と密接な関係をもった会社であると言う興味深い史実を見付けることができる。スイスの時計会社には珍しいアメリカ風の社名もその名残りのひとつだ。
 1868年、当時28歳であった若き時計職人フローレンス・A・ジョーンズというアメリカ人が、仲間であるC・L・キダーを伴ってスイス・チューリッヒ近郊のシャフハウゼンヘやって来た。彼らはアメリカ式時計製造法を、ヨーロッパ時計産業の中心地スイスで発展させることを夢見ていた。それは自分たちのアメリカ式生産技術をスイスに根付かせ、さらにスイスの伝統技術を取り込むことによって、より完成度の高い時計作りを目指すというものだった。ジョーンズはこの時すでにインターナショナル・ウォッチ社という販売機構をニューヨークにもっていたため、スイスで生産した時計をアメリカ市場に送り込む計画も心に描いていた。
 19世紀後半のスイスの時計は、すべて職人たちの手作業によって作られるものだった。そのため大量生産ができず、生産効率も決して良いとは言えなかった。また職人の技量による品質のばらつきも若干だが見られた。しかしこれらのマイナス要因を凌駕して余りある逸品を誕生させてきたのも伝統的手作業なのであった。一方アメリカでは時計産業が産声を上げ、機械による懐中時計の製作方法が確立した時代である。ウォルサムの創設者で「アメリカ時計の父」と呼ばれるアーロン・ルフキン・デニソンが、互換性のある部品を使い、機械によって大量生産するというアメリカ式の製造法を時計に採用したことで、時計製造のノウハウが確立され、東部を中心に次々と新しい時計メーカーが設立されていった。フローレンス・A・ジョーンズはスイスに渡る前年まで、テニソンのパートナーであったE・ハワード経営のマサチューセッツ州のハワード・ウォッチ・カンパニーで時計製作に従事し、この動きの渦中にいた人物のひとりだった。
ハワード・ウォッチ・カンパニーでアメリカ式時計製作方法を習得したジョーンズは、独自のアイデアを実現するためスイスへ渡ることを決意し、シャフハウゼンヘと向かった。一流時計メーカーが集まるジュネーブ周辺でなく、なぜドイツ国境に近いこの地を選んだのか。当時シャフハウゼンではライン川の滝の水力を利用した大規模発電所の建設が進められ、近代機械制工業がまさにスタートの瞬間を待っているという状態にあった。そしてジョーンズたちの時計製作に必要だった工作機械を動かす動力として、シャフハウゼンの水力発電は不可欠なものであったからだ。
 この時彼は、時計職人でありロシアのサンクトペテルブルグで実業家として成功を収めていたハインリッヒ・モーゼルと出会う。そしてこのモーゼルこそ、ライン川水力発電の利用を強力に推進する革新的な人物だったのだ。ジョーンズは幸運にも水力発電を備えたモーゼルの工場を借り受けるチャンスを得て、スイスの時計職人、そして水力発電によって稼働する工作機械を擁する新しい時計メーカーとして活動を始めた。これがIWCの原形となる。スイスの手作業とアメリカン・テクノロジーの融合はスイス時計業界にとって革命的な出来事だった。
 技術開発は初期の段階から始まり、創設者ジョーンズが開発した「キャリバー・ジョーンズ」は、アメリカで特許を取得した懐中時計用のユニークなムーブメントとして知られ、今日コレクターの間で最も探し求められているアイテムのひとつである。ブレゲ・ヘアスプリングが付き、温度変化による誤差を2種の金属オープンリングが補償し、長いレギュレーター・インジケーターが微細な調整を行うという精巧なムーブメントだった。
 しかし初期のIWCの経営状態は決して順調とは言えなかった。スイス職人との言葉の問題、あるいは職人たちが新しい機械に適応できるまで長期間を擁したことなどが原因で、生産能力は思うような軌道に乗らなかった。開拓者につきもののさまざまな困難は、当然のようにジョーンズたちの身にも降りかかってきたのだった。創業以来わずか7年でジョーンズ体制は崩壊し、その後を引き継いだブレッド・シーランドも経営を立て直すことができずに早々とスイスを去っている。1880年にスイス人のヨハン・ロウシェンバッハが新経営者となり、1979年までこの一族に運営されている。世界初の画期的なアイデアだったデジタル表示の量産型時計の開発など、新しい技術によって経営に好転の兆しが見え始めたのは、1890年代に入ってからのことであった。
 20世紀初めに登場したキャリバー72は別名「シャフハウゼン・ムーブメント」と呼ばれ、IWCの名を世界的なものに高めた懐中時計用ムーブメントだ。スワンネックと呼ばれる白鳥の首の形をした微細な調整装置、2種の金属を使ったバランス、ブレゲ・ヘアスプリングを備え、全体に美しい象眼細工がされている。また、腕時計の生産を始めたのも今世紀になってからで、中心秒針タイプのムーブメントやカレンダー表示の開発など新たな試みがされている。
 軍用時計はIWCの歴史において特筆すべき存在だ。生死にかかわる戦場で使用されるというその性質上、より確かな精度と耐久性を要求される軍用時計は、時計メーカーの優秀さを語る時に、それを製作していたか否かがその判断基準になるからである。第2次大戦中IWCはアメリカの兵士たちに愛用され、イギリス、ドイツでは軍に制式採用されたという事実があり、軍用時計を知る人であればIWCと聞いただけでその素晴らしさを認める。
 「誠実な時計」「高品質」を意味するラテン語「ブロブス・スカフジア」をトレードマークに掲げるのも、製品に対する絶対的な自信の表れであるのだろう。ドイツの名車ポルシェのデザイナー、フェルディナンド・アレクサンダー・ポルシェが、彼のデザインした時計の製作を依頼するのがIWCだと言うことも、この自身が決して独り善がりのものでないことの裏付けである。  
 IWCは現在も創業当時のスタイルを継続している。アメリカ式製造法を発展させ、コンピューターなどの先端機器へと変化させているがである。技術と先進性で磨かれた傑作品は「オルロジェ・コンプレ」をもつIWCの弛まぬ企業努力によってのみ結実するものなのだ。創業以来、世に送り出されるすべてのムーブメントには番号が刻印され、登録されている。補修部品も保存されており、100年前の時計でも修理可能な保証体制が整っているのだ。これも信頼のおける時計ブランドとしての魅力のひとつであろう。

「世界の腕時計 No.16」より引用