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BREITLING ブライトリングの歴史

創業:1884年

~大空を飛翔する男たちの精密機器。あまりにも明確なブライトリングのアイデンティティー~

 時計王国スイス。互いに凌ぎを削る数多くの時計ブランドのなかにあって、クロノグラフやストップウォッチなど経過時間を計測するための時計、いわゆる計時機能付きの時計や航空時計に焦点を合わせて成長したメーカーを、ブライトリングのほかに見付けることは難しい。これは世界的に見ても同様のことが言えるだろう。目前に迫り来ることが予想される、航空機の発展と大量生産に象徴されるスピード化の時代において時計に求められるであろう機能に、創設時から着目していたと言う先見の鋭さには脱帽の感がある。
 1884年、創設者レオン・ブライトリングは、スイスのジュウ渓谷の小さな村サン・ティミエの工房で時計作りを始める。若干24歳の時であった。この地方の大半の農家がそうであったように、厳しい冬のあいだ副業として時計作りに関わる家に育った彼は、幼い頃から時計に親しみ、それを将来の職業にと考えていた。それが現実となったのである。やがて小さな工房は、G・レオン・ブライトリング社という時計工場に成長していく。スピードの時代を予感し、他のメーカーとの差異の強調をと考えた彼は、創設当初から懐中型のクロノグラフとストップウォッチの製作に情熱を傾けた。草創期であるこの時代に作られたクロノグラフは、多くの賞を受賞し、航空時計メーカーとして発展していくブライトリングのルーツとなるものであった。
 複雑な機構の計時機器であれば、それはすべてレオンの興味の範疇にあった。独自の発想で開発したスピード計測器は、警察に正式採用されると同時に、ブライトリングに公的な信用をもたらした。これに比例して主力商品の懐中時計に対する評価も上がっていったのである。折りしもヨーロッパでは自動車が走り始め、スピードに対する関心が人々の間に徐々に芽生え始めた頃であった。
 G・レオン・ブライトリング社は順調に発展した。1892年に時計産業の中心地であった、ラ・ショー・ド・フォンに進出するまでに規模の拡大が成され、企業としての基盤が確立された。社名もレオン・G・ブライトリングSAモンブリラン・ウォッチ・カンパニーとしている。
やがてレオンは当時の最先端技術であった飛行機に興味をもつようになり、自らが飛行士になりたいと夢見た。しかしこれが不可能なことを知ると、飛行士用小型懐中クロノグラフを作ることで大空に参加したいと考え、製作に着手した。空を駆けるパイロットとブライトリングのその後の密接な関係は、レオン・ブライトリングの少年のような夢の産物であった。余談ではあるが、ロシアのアレキサンダー・モジャスキーの単葉飛行機が航空史上初めての離陸に成功し、グライダーの先駆者であるアメリカのジョン・モンゴメリーが、200メートル以上に及ぶ飛行を記録したのが1884年。レオン・ブライトリングがサン・ティミエに工房を開いたのと同じ年である。飛行機とブライトリングの、目に見えない因縁を感じる出来事ではないか。
 1914年8月11日、惜しまれつつもレオン・ブライトリングは夢であった大空へと帰って行く。54歳という若さだった。彼の没後は息子のガストン・ブライトリングがその志を受け継ぎ、近代的な経営で会社を更なる発展へと導いた。クロノグラフの開発も引き続き行われ、今日の腕時計型クロノグラフの原型とされる30分タイマーやストップウォッチ「ヴィテス」などを発売した。30分タイマーは、30分積算計が装備されたワンプッシュ・クロノグラフ。スピードを意味する「ヴィテス」は、30分積算計と中心秒針のついたストップウォッチで、警察のスピード違反取締用に使われていた。そしてこれらの時計は、スピードを競うスポーツマンやパイロット、生産効率を計る工場のエンジニアたちの間で評判を呼び、ブライトリングは計時時計メーカーのパイオニアとして認められるに至る。ガストンーブライトリングの大いなる功績であった。
 1932年、3代目はレオンの孫ウィリー・ブライトリングが受け継いだ。彼もまたブライトリングの伝統である計時装置付きの特殊な時計の開発に力を注ぎ、40種類ものクロノグラフを次々に発表していった。ブライトリングの独自性は、当時世界を襲った大不況にも屈しないほど強力に、世間から認められる存在となっていた。
 1930年代には航空機用コックピット・クロックをイギリス軍に供給するというチャンスに恵まれた。戦場で時計に要求されるのは高精度と耐久性である。軍に採用されるにはこれらの条件を満たしていなければならない。逆に言うと、軍に採用された時計は高精度と耐久性が保証されていると言うことにもなる。コックピット・クロックも例外ではない。軍に採用されると言う大きな宣伝効果により、ダグラス、ボーイング、ロッキードなどの航空機メーカーや、エアフランス、KLM、BOACなどの航空会社も、このコックピット・クロックを採用した。ブライトリングと航空業界の結び付きは、益々深いものとなっていく。 
 ウィリー・ブライトリングは、クロノグラフの新しい可能性を示すものとして、1942年に「クロノマット」を発表している。これは世界で始めて対数目盛り付きの計算尺を装備し、文字盤上で数種の計算が行えるものであった。生産効率の計算もできたこの時計は、景気の回復に伴って大量生産が本格化した工業界に適応するものとして、時計の新しいジャンルを確立した。しかしクロノマットの登場は、後にブライトリング技術の結晶であり「不朽の名作」と称えられる、「ナビタイマー」へのプレリュードにすぎなかった。
 ジェット旅客機が誕生した1952年、パイロットたちが待ち望んだ時計、そして航空航法に新時代を告げる時計として、ナビタイマーが登場する。第2次大戦後の航空航法の要であった、E6回転計算尺を文字盤に組み込んだ画期的なモデルで、1分あたりの飛行マイル数、平均上昇・下降速度、上昇・下降距離、燃料消費量、地上速度計算、掛け算、割り算などの航空計測が瞬時にできると言うものであった。ナビタイマーは多くのパイロットを魅了し、ブライトリングは航空時計の代名詞となるまでに認識される。空の征服を企てた創設者レオン・ブライトリングの夢は、ここに完結した。
 ナビタイマーと双璧を成す代表モデルである「コスモノート」は、アメリカのマーキュリー宇宙計画に参加した時計だ。ブライトリングは1940年代からアメリカ市場に参入し、ワックマン社と共にアメリカ・ブライトリング・ウォッチ社を創設している。ハリウッド映画などで使用され人気を集めたが、やはりマーキュリー宇宙計画が、ブライトリングの名をアメリカで知らしめた最大のエポックであろう。1962年5月24日、オーロラ7ロケットでケネディ宇宙センターを飛び立ったスコット・カーぺンターの腕にあったのがコスモノート。基本的にナビタイマーと同仕様であるが、宇宙空間では昼夜の認識が相対的であるため、24時間表示が採用されている。ブライトリングは大空だけに飽き足らず、活動範囲を宇宙へと広げたのである。
 初代レオン・ブライトリングが時計に託した思想。ただ単に時を刻むだけでなく、時を計測するツールとして時計を発展させるという考え方は、次々と発表される現行モデルにも、進行形として育まれている。昨年発表された「オールドナビタイマーⅡ」は既存のモデルが進化したものであるし、電子工学や光電子工学の発達により可能になった、より複雑な機能を有する時計作りにも挑戦している。さらに革新的な計時機器に驚かされる日も近いのではないだろうか。ブライトリングは、やはりブライトリングなのである。

「世界の腕時計 №16」より引用