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PIAGET ピアジェの歴史

創業:1874年

~時を操る神が乗り移った華麗なる宝飾芸術~

 時計は時を刻むだけのものではない。その時計にさまざまな歴史や付加価値があるからこそ、人々はこの小さなメカニズムに魅了され続けるのだ。その時計に明確なポリシーがあればなおさらである。ピアジェ。この名前を聞くたびに我々は目眩くような造形美の世界を喚起するのである。
 クロノメーターの認定機関が設置された天文台で知られるニューシャテルに程近い、ジュラ渓谷にラ・コート・オ・フェという村がある。日本語に直訳すると「妖精の丘」というなんともロマンチックな名前をもつこの村に1874年、ジョルジュ・ピアジェという当地の有力者が時計会社を設立した。その時計会社は彼自らの名前を冠して「ピアジェ」と名付けられた。このブランドが後に村の名前と同様に多くの人々に限りないロマンを与える宝飾時計の名門ブランドに発展するのである。
 設立当初は半完成品の装飾、調整、仕上げなどの仕事をメインにしていた同社であったが、やがて時計の自社一貫生産を手掛けるようになる。
 美しいものをこよなく愛するジョルジュには、一つの確固たる信念があった。それは「美を愛する私が時計製造を手掛けるのだから、どの世界にも存在しなかったような、芸術的価値をもった時計を作りたい」という信念であった。
 彼は妥協という言葉を知らなかった。「精緻な手作業と正確な人間の目こそ時計を作る絶対条件である」という姿勢を貫き、芸術的価値と完璧な工作技術を併せもった、美しい宝飾時計の数々を世に送り出したのだった。このような彼の時計哲学は、他の誰にも真似できない、ピアジェだけのオリジナリティという形で結実した。例えば超薄型のドレス・ウォッチ。1946年に厚さ、1.35mmという世界で最も薄い手巻きムーブメントの開発に成功し、このムーブメントを10ドル金貨に組み込んだコイン・ウォッチは全世界規模で称賛を浴びたのだった。1960年には、これも世界一のウルトラ・フラット・オートマチック・ムーブメントを発表した。自動巻きであるにもかかわらず、厚さは2.3mm、ゼンマイを巻き上げるマイクロローターは純金製という、なんとも贅を尽くしたムーブメントであった。これらは同社がいかに優れた時計ブランドであるかという事実を証明している。
 通常の宝飾時計であれば、外装にこだわるあまり「時を刻む」という時計本来の役割をまったくなおざりにしてしまうケースがほとんどであった。しかしピアジェは内装のムーブメントを完璧に装備したうえで、そこに新たな価値観を吹き込むのである。創設地のラ・コート・オ・フェにムーブメント工場を、ジュネーブにはケースとブレスレットを製造する外装専門の工場をもち、時計王国スイスでもほとんど絶滅したといわれる自社一貫生産を今も守り続けていることが、何よりの証しである。時計宝飾ブランドでこの自社一貫生産を行っているのは、同社だけなのだ。
 合理的な分業制に頼らず、すべてを自社でコントロールするということは、それだけ多くのリスクを背負うということも意味する。大量生産はもちろん望めない。じじつピアジェの年間総生産はわずか1万個にしか過ぎない。ところがこのわずかな生産量がピアジェの価値をより高めている。考えてみると、優れた芸術作品は限られた数のみがこの世に存在するから価値があるのであって、巷に溢れる芸術作品は芸術作品として成立し得ないのである。芸術的価値を創設以来標榜する同社にとっては、生産量が少なければ少ないほど、それだけ有益となるのである。ゆとりを持って手作業に近い製造方法を今も維持しているからこそ、数々のオリジナリティが同社から誕生しているといっても過言ではない。
 前述の超薄型のドレス・ウォッチの開発とともに、ピアジェがオリジナリティを発揮するのは、なんといっても宝飾品のあしらい方である。通常であれば時計に少し宝石をちりばめて、それを宝飾時計と呼ぶものであるが、同社の宝飾時計は宝石の中に時計を埋め込むという何とも斬新なスタイルなのだ。逆転の発想とでも言おうか。「宝飾時計は仰々しくて」という人も同社の徹底したスタイルには一目置くのである。
 創業者のジョルジュ・ピアジェの哲学は、ピアジェファミリー5代目のイブ・ピアジェによって、今も「妖精の丘」で継承されている。

 「世界の腕時計 №16」より引用