WALTHAM ウォルサムの歴史

創業:1849年

~時計史上初の量産体制を築いた革命児~
 
 ウォルサムの創業者アーロン・ルフキン・デニスンは「ボストンの狂人」と呼ばれていた人物だ。型破りな行動力と時計への情熱が凄かったのだろう。さて、そのウォルサムの前身となるデニスン・ハワード・デビス社を1849年にマサチューセッツ州ロックスペリーに設立する。この会社は、デニスンと、当時ニューイングランドで時計やミシンを製作していた”E・ハワード・クロック・カンパニー”のハワードと、もう一人加えた3人で始めたものだった。この年デニスンはイギリスに出向き、時計部品の買いつけと、まだアメリカではなかった金メッキ技術を修得している。
 ロックスペリーは埃が多く、時計を製造するには不向きな土地だったため、翌'50年にボストンから西へ20km離れたウォルサムに赤レンガの工場を設立する。実際に工場が稼働するのは'54年からだが、90名の技術者を誇り、週に懐中時計30個を量産した。創業して間もなく部品製造のための工程を完全オートメーション化し、初めて時計の大量生産を実現する。一般に”アメリカ方式”と呼ばれている方式だ。それでも1880年代のスイス時計の生産量は、アメリカを圧倒していた。しかし精度に関してはウォルサムにはかなわなかったという。ウォルサムの工場にある自動・半自動の部品作製機はスイスでは垂涯の的だったのだ。
 1857年、創業してわずか8年で経営が傾いてしまい、ロイヤル・エリシャ・ロビンスが新社長となって再起を図った。このときデニスンは工場長になり、その後イギリスに渡って時計ケースの工場を設立する。彼はとても人望があったため、後にスイスで2年間にわたり製造機械の実施指導を行っている。つまり時計の聖地スイスにおいて、アメリカ方式の量産技術を広めたのである。
 その後会社は、アメリカン・ウォルサム・カン八二ーなど幾度か社名変更を繰り返しながも、ウォルサムの時計は確実に売上を伸ばしていく。第2次世界大戦時には自ら進んで軍需工場となり、「タイプA-11」や「タイプA-17」を生産し供給した。残念ながらこの戦争中の数年間のブランクがあだとなり経営危機に陥る。1957年にはアメリカでの生産を終えてしまい、スイスに本拠を移転する。'81年からは日本の平和堂貿易の傘下に入っている。
ウォルサムというと懐中時計やミリタリーウォッチのイメージが強いが、秘密結社フリーメーソンの三角時計など個性的なモデルも手掛けている。アメリカ最古のブランドは紆余曲折しながらも存続しているのは嬉しいかぎりだ。

「ウオッチ・ア・ゴーゴー No.38」より引用


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