ROLEX ロレックスの歴史

創業:1905年

~ロレックスの本質は創業以来「質実剛健」にある~

 18881年ドイツのバイエルン州クルムバッハにハンス・ウィルスドルフは産声をあげた。後にロレックス創設者として時計史にその名を刻まれることになる男の誕生だった。彼は12歳で両親を亡くし学資を稼ぐために花屋を始めた。これが独立心を養い、商売を学ばせることになる。19歳で学校を卒業すると、彼はスイスのジュラ地方にある時計の輸出会社で職を見つけた。これが彼の一生を時計産業に導き、やがて腕時計そのものを発展させることになったのだから、運命であった。
 彼は有能なセールスマンとして時計業界の荒波をかわしながら、やがてロンドンへと旅立つ。そこで時計を取り巻く実情に不満を感じながら、将来への希望を見出し、自ら時計販売会社を設立する決心をした。1905年、ロンドンにウィルスドルフ&デイビス社創設。これが後に王冠マークと共に時計の世界に君臨することになるロレックスの前唇である。
 当時はまだ懐中時計が主流であり、腕時計に対する信頼性は弱かった。それは懐中時計のようにポケットで保護されることがないため、水や埃が機械に入りやすく、衝撃にも弱い。しかし自動車や飛行機が話題になりだした頃で、おもむろに懐中時計を取り出すビクトリア風仕草よりも、瞬時に時刻を読めた腕時計のほうが求められる下地ができ始めていた。それにいち早く気がついたウィルスドルフは機能的な腕時計に将来の大きな可能性を見い出していた。そこで腕時計を製造し販売することに乗り出しだった。時計としての信頼を得るには精度を確保することが必要だ。そこで彼の脳裏をよぎったのは、小型で高精度のアンカー・エスケープメント式ムーブメントを開発した、スイスのピエンヌにあるエグラー社だ。創業当初ウィルスドルフはエグラー社との間で数十万スイス・フラン相当の契約を取り交わした。大きなリスクを負った賭けではあったが腕時計の将来に光があると信じて生産が始められた。
 エグラー社のムーブメントの精度は彼の期待を裏切ることはなかった。1910年にピエンヌの公式時計検査所でクラス1という精度検査結果を得た。その後もイギリスのキュー天文台で行われた精度テストで、腕時計として初めてクラスAを獲得し、狂いやすい腕時計という当時の常識を覆したのだ。ところで精度と共に腕時計に対する評価をあまり芳しいものにしていなかったのが、水や埃に対する耐性だった。腕に時計をすることは、それだけ水や埃が時計に入りやすいということを意味していた。この本質的な問題を解決したのもロレックスだ。
 今ではロレックス神話の第1話として知られる、メルセデス・グライツのドーバー海峡横断に使われたオイスターはまさに防水時計の最初であった。1926年にスイスとイギリスで特許を得た完全防水ケースは、ねじ込み式リュウズを採用して防水性を確保した。この方式は改良を重ねながらも、基本は現在まで変わっていない。
 ところでウィルスドルフはオイスターケースのねじ込み式リュウズの弱点も知っていた。それはオイスターケースは必ずリュウズをねじ込まなければならない。ところが人間はそれを忘れることもある。そこでリュウズをできるだけ操作しなくても動く時計、つまり自動的にゼンマイが巻き上げられる時計が求められた。こうしてロレックスは次の目標として自動巻き時計の開発を掲げたのだった。
 1931年、その目標は達成された。1920年代から様々な自動きの方式が考えられてはいたが、ロレックスが開発した自動巻きが最も進んだ方式とされ、その後の自動巻き開発にひとつの布石を投じた。「パーペチュアル」と名付けられたこの機構では、腕のわずかな動きでも半円形のローターが回転し、ゼンマイを巻き上げる。十分に巻き上げられると、機械に負担をかけないために、スリッピング・クラッチがはたらき、巻き上げ過ぎを防ぐ。この基本も今日まで変わらない。
 さて話は遡って1908年、ウィルスドルフは製品を広く浸透させるためにブランド名を付けることにした。製品を世界市場で広めるためには、わかりやすいブランド名があった方が都合がいい。ウィルスドルフは創造的で、どの国でも発音しやすく、しかも文字盤に入れたときにデザイン的におさまりやすいものを考えた。思案の末、ロレックスと決定した。
 ウィルスドルフの思惑どおり、ロレックスの名前は世界に広まった。それはまたオイスターケースとパーペチュアルを軸とした、画期的な製品があったからこそである。特に1950年代から1960年代にかけて新製品開発に猛烈なエネルギーが注がれた。
 防水時計の先駆者として、第2次大戦後の海洋開発の進展と歩を合わせるかのように、ダイバーズウォッチの開発も他に先駆けて進められた。1953年、100m防水機能をもつ世界初のプロダイバー用腕時計「オイスター・パーペチュアル・サブマリーナ100」を発表。その翌年には200m防水の「オイスター・パーペチュアル・サブマリーナ200」を発売し、本格的な深海探査に向け準備が整えられた。各国海軍がサブマリーナを採用しているのも、その信頼性ゆえに他ならない。
 ダイバーズウォッチはその後も進化を続けた。1960年にバスチカーフ「トリエステ」号の外側にオイスターの特殊モデルを取り付けて、マリアナ海溝で10908mまでの潜水に挑戦した。この実験は610m防水でヘリウムガス排出バルブを備えた「シードゥエラー」の開発で結実している。その翌年、1220m防水の「シードゥエラー14000」が登場し水に対する壁をさらに強化したのだった。
 1953年には探検家用の腕時計として「エクスプローラー」が発売された。スチール製の100m防水オイスターケースを使い、ムーブメントにはクロノメーター資格をもつパーペチュアルを用いている。探検にふさわしく、頑強さと精度を前面に押し出したものだ。
 スポーツや冒険がロレックスの製品開発の基礎にある。1954年には空の男に向けてGMTマスターが発売された。任意の2ヵ所の時刻を、24時間針と回転ベゼルを使って読み取ることかできる時計は、ジェット旅客機の時代が訪れ、民間航空のパイロットたちを満たすものだった。1961年には手巻きクロノグラフ「オイスター・コスモグラフ・デイトナ」が発売されている。
 ロレックスは、このほかカレンダー付きの時計でも先駆的役割を果たしたいる。腕時計の歩みを確実に見据えながら、その可能性のひとつひとつに先鞭をつけたロレックスは、決してファッションとして語られるものではない。質実剛健の実用の時計としてこそ、その進化を発揮する。

 「世界の腕時計 №16」より引用
 


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