創業:1875年
~先端技術を取り入れたアメリカンウォッチ~
1875年、チェコスロバキアからニューヨークにやって来た23歳の青年ジョセフ・ブローバは小さな宝石店を開く。従業員のジョン・バラードとともに積極的に時計の販売に力を入れたのが、ブローバの歴史の始まりだ。ジョン・バラードは後に社長となり、30年間にわたってブローバを育てていく。彼は広告戦略にも長けており、'26年には時計メーカーとして世界で初めてラジオのスポットコマーシャルを開始した。これは時報のかわりにブローバの名を告げるもので、この後'40年まで続き240のラジオ局で流された。
ブローバも他社と同じく第2次世界大戦時にはアメリカ軍に腕時計を供給していたが、とくに軍需品のみ生産するように指定されたメーカーだった。しかし戦後すぐに民間用モデルの製造を再開する。他社があたふたしているときに同社はいち早く生産ラインを整えていた。じつは戦争前の'34年にスイスが時計製造機械の輸出を禁止したときにすでにスイスに工場を建てていたのである。まさに先見の明である。
'60年にブローバは時計史に残る音叉式腕時計「アキュトロン・スペースビュー」を発表する。これはトランジスタと電磁コイルによって制御・駆動される音叉が約360ヘルツで振動し続け、その振動を積算することによって時計を動かすというものだった。この原理はスイスの物理学者マックス・ヘーツェルの発明だったが、スイスでは受入れられず、ブローバが手を差し伸べたのである。「アキュトロン」はムーブントの部品数が少なく機構も簡単。故障も少なく、なおかつ高精度を誇った。
当時、アメリカは宇宙開発に目を向けていた。NASAが宇宙飛行士のために選んだ腕時計はブローバではなくオメガのスピードマスターだったが、'69年にアポロ11号が月面に残した科学機器にはアキュトロンのシステムが使われていた。さらにマーキュリー9の宇宙飛行士ウォルター・シラーは、スピードマスターの他に「アキュトロン」も使っていたといわれている。このようにブローバは先端技術にかなり力を入れてきたが、日本製クォーツの前に敗れ去り、とうとう'76年に「アキュトロン」の製造を中止する。余談だが大統領専用機「エアー・フォースワン」にもブローバの時計が搭載されているという。現在もブローバは存在しているが、文字盤の下にはSWISS MADEの文字が入っている。
「ウオッチ・ア・ゴーゴー No.38」より引用
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