創業:1830年
~ボーム家の歴史、それは雄大な物語の時代にまでさかのぼる~
舞台19世紀ヨーロッパ、時はナポレオン3世の第2帝政時代である。美の追求に貪欲だった貴族や高級ブルジョワジーは、絢爛豪華な宝飾時計を好んで愛用するなど豊潤な毎日を謳歌していた。早熟だった当時のヨーロッパ宮廷文化こそが成しえた美意識の表現だったのであろう。豪華な宝飾を施した時計の需要が高まる中、ボーム・メルシーは宝飾時計メーカーとしての基盤を確立していく。
時代は17世紀末までさかのぼる。フランス・ノルマンディーに育ったボーム兄弟は、敬虔なプロテスタントだった。しかしこのことが災いをもたらすという皮肉な運命になろうとは、彼ら自身信じがたいことではなかっただろうか。1685年の「ナントの勅令」の取り消しでプロテスタントは迫害を受け、ギルド制度からも除外されてしまう。故郷ノルマンディに留まることが困難となった彼らは、逃げるようにスイスに渡り、スイスのラ・ショー・ド・フォーの近いル・ボワ村に落ち着いた。そしてすでにこの地に繁栄していた分業制の時計工場を興し、職人の道を歩み始める。その後5世代を数えた1801年、政教条約を経てボーム家の工場は正式に許可され、ボーム・メルシーの礎が築かれた。
1830年、時計製造業者としての体制を固めたボーム家は、ソシエデ・ボーム・フレーレを発足させる。この頃のボーム家の時計には肖像、風景、花、宗教的場面などをモチーフにした精妙なメエナメル細密画が描かれたが、これらの美しさ、華やかさに呼応するように会社も急成長を遂げていく。豪華な装飾をされた時計に対する、貴族たちの需要に応える宝飾時計メーカーとして認められるまでに成長したのだ。
第1次産業革命の到来によって機能的でシンプルな時計への需要が高まり、一般市民の間にも時計は急速に普及した。クロノグラフが登場したのもこの頃で、ボームの時計の幾つかも先進的なクロノグラフだった。クロノグラフの製作が可能だと言うことは、技術的に高い水準の時計メーカーであることの証しである。これはソシエテ・ボーム・フレーレ社が時計の装飾技術だけではなく、精密な機械技術をも併せもった時計メーカーの仲間入りを果たしたと言うことに他ならない。
1878年にボーム社と社名変更し、海外への輸出を開始。販路の拡大が進められた。クロノグラフを中心とする懐中時計は、主にイギリスへ輸出され人気を博していた。またこの時代に世界各国で開催された万国博覧会においても、計6個のメダルを獲得し世界的な名声を獲得している。
ボーム・メルシー社が正式にスタートしたのは1919年のジュネーブ。ボーム家の末裔であり厳格さを重んじるウイリアム・ボームと、芸術を愛し洗練されたタイプのポール・メルシーの相反するふたつの個性によって、ヨーロッパの宮廷文化が欲した美意識を洗練という形に昇華し、時代を越えた宝飾時計ブランドとして現在のステイタスを確立した。
1968年には自動カレンダー付き時計を、1970年にはチューニング・フォーク式のクォーツ時計を開発し、技術革新にも意欲を見せる。同社の人気シリーズ「リビエラ」は、1980年のル・マン24時間耐久レースに出場したBMW-M1のホイールに付けられ、時速300キロの世界を経験したがダメージは皆無だった。このデモンストレーションによって、ボーム・メルシーの時計がデザイン的な美しさだけに優れているのではなく、耐久性と品質にも秀逸さを放つ存在であることがより鮮明に印象づけられたのである。
「世界の腕時計 №16」より引用
Calendar